【展覧会レポート】「翻訳できないわたしの言葉 WHERE MY WORDS BELONG」@東京都現代美術館
言葉は状況によって形を変え、音声を伴わないときもある。
発信する側の思い通りに伝達されることもあれば、受け取り手の置かれた状況やバックグラウンドによりその意味がゆらぐことも。
Re:log 第37回は、東京都現代美術館で2024年4月18日から7月7日まで開催されている展覧会「翻訳できないわたしの言葉 WHERE MY WORDS BELONG」のレポート。
「翻訳できないわたしの言葉」というタイトルを目にし、“あたりまえ”の外に連れ出してくれそうな気がして、言葉をあつかう仕事を始めようとしている状況も重なり、ぜひ見てみたいと思い足を運んだ。
5つの作品から構成される展覧会
ユニ・ホン・シャープ、マユンキキ、南雲麻衣、新井英夫、金仁淑の5名の作品で構成される「翻訳できないわたしの言葉 WHERE MY WORDS BELONG」。※本記事ではアーティストの方々の敬称を省略
日本人として日本で暮らしていると、「日本語」、それも音声を伴って話す日本語が「標準の言葉」だと思いがちではないだろうか。
しかし言葉とはもっと多様で、話している言葉と自分の出自が結びつかないことや、自分のアイデンティティゆえにどの言葉を話すか迷うこと、そもそもコミュニケーションの手段は常に音声を伴う言葉であるとは限らない。
5名の作品は新たな観点を私たちに投げかける。
ユニ・ホン・シャープ(Yuni Hong Charpe)
企画展の入り口を入ると、巨大なスクリーンに映像《REPETE|リピート》が流れる。
映像では女の子がフランス語を話している。部屋の脇にある鏡に映るのがユニ・ホン・シャープ本人で、女の子は彼女の娘だ。
フランス以外にバックグラウンドをもつ彼女はフランス国籍を取得したばかりで、映像にうつる娘のほうがフランス語をうまく発音したという。そこで発音を教えてもらおうと試みたのが5分間のこの作品だ。
映像のそばには札型の焼き菓子が展示されている。これは「gwispid(グウィスピッツ)」で、沖縄で行われていた言語政策「方言札」を模したもの。
沖縄では1900年代前半から戦後1970年まで言語政策が続き、方言を話した人に「方言札」がかけられたという。
同様の言語政策「symbole (サンボル)」がかつてフランスのブルターニュ地方でも行われており、沖縄での言語政策のもととなった。
方言札型のお菓子を作って食べてしまおうというこの作品での試みは、朝鮮、韓国、そしてフランスのバックグラウンドを持つ、アイデンティティの定まらなさの渦中にいる彼女なりの対処の仕方、状況の受け入れ方のように感じられた。
マユンキキ (Mayunkiki)
次に、モニターで2名の対談の様子が映し出される。
作者のマユンキキはアイヌのアイデンティティを持つが、アイヌ語を母語としておらず、後天的に習得したという。対談の相手は韓国にルーツをもつ金サジ。
切断されかねないアイヌ文化と在日コリアンの韓国文化。民族は違えど、ルーツをもつ民族の言語を母語とすることが叶わなかったり、後天的に勉強して習得したりする過程での違和感などについて対話している。
奥の部屋は「セーフスペース」。部屋の入り口付近にある台には、アイヌについての質問が書かれた“パスポート”が置かれており、「セーフスペース」に入るには、署名欄に鉛筆で署名をする。
明治期に和人(日本人)への同化政策で文化を奪われたアイヌについて、知っていることと知らないことを意識してほしいという作者の想いだ。
「セーフスペース」とされる部屋の中では、マユンキキ本人が「展示品」として存在し、彼女の所有する本やぬいぐるみ、アイヌの物語が書かれた本に出会うことができる。
南雲麻衣(Mai Nagumo)
3つのエリアでモニターでは《母語の外で旅をする》を視聴できる。
各モニターでは、作者の南雲麻衣が音声言語と非音声言語の間を行ったり来たりする様子が映し出される。
3歳半で聴力を失い、高校の時に手話に出会った彼女は、日常生活で音声言語、視覚言語など複数の言語を使い分けているという。
3つのモニターが映し出すのはどれも彼女の日常であり、ある時は音声の日本語で会話し、日本手話を用いて友人と会話する時もあれば、聴者のパートナーとは音声と手話をどちらも用いる。
音声言語か手話のどちらかを選択し、その言語しか使わないのではなく、状況によって音声と視覚のあいだを行き来しながら暮らしているという。
ろう者=手話を使う人であるとは限らないのだ。
新井英夫(Hideo ARAI)
言葉を表出しにくい人のための身体表現ワークショップを行う新井。自らも難病のALSを患い徐々に全身の筋肉が動かなくなる中、「からだの声」を即興ダンスで表現する。
新井の展示スペースには、訪れた人々自身も自分の身体の声を感じ取ることができるような体験ブースがそなえられている。
金仁淑(KIM Insook)
最後のエリアでは、奥に一見高さ5mほどもあるのではないかと思われる巨大なモニターが現れ、巨大モニターの手前に複数の縦長のモニターが配置されている。
縦長のモニターには、ほとんど等身大の子どもたちの映像が一人ずつ映し出され、エリアに入った私たちは彼らと目があうことになる。
モニターの前に立つと、そこに映る子どもから眼差しをむけられたように感じる。まなざしは印象的で、透き通り、まだ幼い印象をしている。思わずこちらも彼らを見つめ返す。
金の作品《Eye to Eye》は彼女自身が出会った人と、この展覧会を見にきた人々が出会うことができるもの。
舞台となる滋賀県にあるサンタナ学園は、移住したブラジル人たちが通う学校。
日本でのブラジル人コミュニティに密着取材しながら、展覧会を訪れた人も彼女が出会った人たちとモニターを通して出会ってもらい、ともに考えてほしいとの思いが込められている。
「わたしの言葉」を大切にしよう
展覧会の感想 〜白黒つけず、ゆらぎを見つめる〜
私がこの展覧会を通して感じたのは、「ゆらぎ」。
朝鮮と日本のバックグラウンドを持ちながらフランス人の国籍を取得したユニ・ホン・シャープは、フランス人だと思うかという質問に対して混乱すると答えているし、3歳半で聴力を失い高校生の時に手話と出会った南雲麻衣は、音声言語と非音声言語の間を漂うように行き来する様子を3つの映像で表現している。
アーティストとして表現活動をしている彼らがゆらぎうつろう状態にあるというのは意外、というのが率直な感想だ。
私自身、なにごとも白黒つけてしまいがちだ。白黒つけて自分の立場を決めておくと、安心する。あおり風をうけても、ちょっとのことではぐらつかないからかもしれない。
移ろいや揺らぎを感じると、まるで細すぎる平均台を渡っている気分で安心できない。指で少しつつかれたくらいで簡単に倒れてしまうくらい不安定に思える。
でも、もっとゆらいでいていいのではないか。
例えば自分自身のアイデンティティも「日本語を話す日本人」といつもつねに白黒つくものとは限らず、もっとうつろうものなのだろう。
ゆらいでいるという状態は感情の機微まで目を向けさせ、目で見ているもの、五感で感じているものの解像度が上がり、ゆらぎを否定していた時には見えてこなかったものが見えるのではないか。
だから今度、ゆらぎやうつろいに気がついたら、それを解決したり、または無かったことにしたくなる気持ちを一旦脇に置き、ありのまま観察し、そのままの状態にしておきたいと感じた。
美術館情報 〜初めて東京都現代美術館へ行く方へ〜
東京都現代美術館では企画展と常設展が催されており、チケットは正面入り口すぐのカウンターで販売されている。1日に2つ以上の展覧会に入場したい方には2つのチケットをセットで購入できるプランも。
手荷物を正面入り口付近のコインロッカーに預けることができる。作品に集中したい方におすすめ。※ロッカーの利用には100円硬貨が必要(利用が終わると戻ってくる)。
小さなお子さん用にベビーカーの貸し出しも。
大きな音がを伴う展覧会のため聴覚過敏や感覚過敏を持つ方への配慮がされており、気持ちを落ち着けるためのスペースの設けられている。
展覧会「翻訳できないわたしの言葉 WHERE MY WORDS BELONG」は、東京都現代美術館にて7月7日まで開催している。
翻訳できないわたしの言葉 WHERE MY WORDS BELONG
2024年4月18日〜7月7日|東京都現代美術館 企画展示室1階
時間|10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日|月曜日(4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日
主催|東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
ユニ・ホン・シャープ / マユンキキ / 南雲麻衣 / 新井英夫 / 金仁淑