2026-03-18

ままならない、でもかけがえのない、自宅保育で過ごした子どもとの1年間

春になって、ふと思ったことがあります。

ひとつめ、私は春専用のコートがいらない。
春に寒く感じる時は、春の薄いコートでは暖をとるには不十分だから。

ふたつめ、花粉症の人にとって、四季はない。あるのは三つ。
寒すぎる季節、暑すぎる季節、花粉でかゆすぎる季節。特に去年は。

みっつめ、どうにもならないと思ったことも、終わってみれば、なんとかなったということ。

ちょうど1年前の4月、東京に引っ越してきてから丸1年間、保育園に空きがなく待機児童の状態にあった子どもが、この4月から新しい保育園に入ることになりました。

4年間暮らした福島から東京に戻ってきたのは、今からちょうど1年前、昨年3月でした。

2月あたりに引っ越しすることが決まり、そこから私と夫と交代で新幹線に乗って日帰りで物件を見に行き、3月はひたすら段ボールに荷造りする日々。

当時1歳だった子どもは、0歳のころから9ヶ月通った保育園をはなれることになりました。

遠くにそびえる山がみえる園庭はかなり広く、のびのびとした雰囲気で、すれ違う先生みんなが子どもの名前を覚えていてくれるような、あたたかい保育園でした。

子どもがお世話になっていた先生のひとりに東京に引っ越しをすることを伝えたとき、その先生は「⚪︎⚪︎ちゃん、シティーガールになるんだね…….元気でね」とさびしげに言っていたのを覚えています。

福島で出会ったひとたちは、福島にはなにもないと口々に言いましたが、私は、じんわりとあたたかく包み込むような雰囲気があるような場所だと思っていました。シティーガール、という言葉を聞いたとき、あたたかさから離れてしまうような気がして、なんだか私もさびしくなりました。

福島は、もともと私も夫も生まれ育った場所ではありません。でも4年間暮らしてそのよさに触れ、「たまに帰りたい場所」になってしまった気がしています。

夫ともたまに、「あの山が恋しいんだよね…ここ(東京)での生活って余白がないというか」「わかる〜。田んぼにサギが飛んできたりね」という会話をしたりします。

本当に、サギとか、白鳥とか、カエルとかがいっぱいいるこの場所が好きでした

引っ越し先の自宅は、どちらかといえば下町情緒あふれる?場所にあり、子どもを抱っこしたり手をつないで歩いていると、自転車ですれちがった近所のおじいさんがおもちゃをくれたりする。

向かいの家の方は、会うといつも子どもに手をふったり声をかけてくれる。同じく向かいに住んでいる外国人の方も、かわいいねえ〜!とフレンドリーに手を振ってくれる。

ちょっと話がそれましたが、東京に戻ってきても小さなあたたかさがあることに気がつき、私と子どもを気にかけてくれる人がいると感じて、救われました。

引っ越してきてからは、日中は2歳の子どもと近所の公園に行ったり電車に乗ってお出かけして過ごしました。近所の公園だけでなく、ランチを持って電車に乗ってもっと広い公園に行ったり、図書館や博物館、庭園、植物園に行ったり。

どうせ時間があるのだから、この際、日中に徒歩と電車を使って行ける範囲でいろいろな場所に行って、子どもと一緒に新しい体験をしようと思いました。

で、いつ仕事するか。

引っ越しは突然。引っ越し先が決まった時点で区の保育園に入園の申し込み要項を確認したものの、すでに4月入園のタイミングに間に合いませんでした。

その後も、5月になったら、夏になったら、秋になったら、1人くらい枠が空くのでは…………..と思いながら、結局保育園の枠は空くことなく1年間が過ぎたのです。

子どもとの暮らしのなかで、仕事にあてられた時間は午後の1〜2時間のお昼寝のあいだ、または夜子どもが寝たあと、だいたい21時以降くらいから。そのため状況を仕事で関わっている方にも伝え、稼働時間が多く必要な仕事は断り、仕事量をセーブしていました。

スケジュールに余裕がある仕事だけ引き受けるようにしていたのですが、私自身は、3月に引っ越しが決まってからのどたばたと引越し後の状況から、心の余裕を失ってしまうことが多くありました。

その日中に締切の仕事がある日に、子どもが寝たくない〜!となかなかお昼寝してくれなかったりすると、限られた仕事の時間が減ってしまうことへの焦りといらいらでせかしてしまったり。

心に余裕を持てない自分のことが嫌になることも多々でした。

どうにもならない状況がなんとかなってきたのは7月。

その1ヶ月前、6月初旬頃に、なんとなく区のWebサイトをみていた時に、東京都では、保育園に入れる条件を満たしているにも関わらず、保育園側に空きがなく待機児童状態の家庭が、働くためにベビーシッターを利用する際、助成料金で利用できると書いてありました。

東京都ベビーシッター事業という、都による事業で、少々申し込みや手続きに時間がかかるらしいけれど、藁にもすがる思いで申し込んでみることに。
(制度のことや申し込み、利用のしかた、実際どうだったかについては別記事に書きたいと思います!)

6月中旬あたりに区経由で申し込みをして、6月後半には紹介してもらったシッターさんとオンラインで顔合わせをしました。

7月頃からは、仕事のスケジュールに合わせて、シッターさんには週2〜3回、10時から17時まで自宅で子どもと一緒に過ごしてもらい、その時間に私は仕事をする生活が始まりました。

年末に向けて仕事量が増え、週2〜3回のシッターさん+週2回くらい近隣保育園の一時預かりサービスを予約して利用していました。

最初は何名かのシッターさんにきてもらっていましたが、子どもとの相性をみて、最終的にはひとりの方に継続してきてもらっていました。子どもを安心して託せるシッターさんがいるからこそ安心して仕事に向かうことができ、仕事を続けられたのだと感じています。

子どもとの日々の会話のなかでも、しだいに「あした、〇〇さん(シッターさん)くる」「きょう、〇〇さんと〜〜してあそんだよ!」などとシッターさんの名前が登場するようになり、シッターさんと過ごす時間は子どもにとっても日常になっていったのではないかと思います。
(シッターさんとの出会いについてはまた別記事にしたいと思います)

そして季節が一周し、また春(花粉でかゆい季節)がきました。

そういえば、もうどうにもならないと思ったけど、1年経った今振り返ると、なんとかなっていたのかもしれない。

なんとかなったのは、きっと、私が助けを求めれば助けてくれた人や制度のおかげだった。

大変なこともあったけど、それよりも肌感覚で残っているのは、この1年、子どもと一緒に過ごしたたくさんの時間のこと。子どもは、とてつもない成長をみせてくれました。背もだいぶ伸びたし、歌もうたえるように。

保育園の一時保育の帰り道、子どもを抱っこして歩いていたときのこと。

「ねえ、まま」
「…なあに?」
「(むかえに)きてくれて、ありがとっ」(にこっ)

この「ありがとっ」ひとことで、すべてが報われる気がするのは。

この1年間、一緒に過ごした日々が、どうか子どもの心のどこかに残っていてくれたらと思い、これから新しくはじまる4月からの生活を楽しみに、そわそわする日々を送っています。

夜、子どもとの会話や日々の小さな出来事を、ノートに書きとめていました

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